人間にとっての機械、そして音楽
皆がコンピューターの普及にあこがれ、それを待ち望んでいた時期がありました。それは、ほんの10数年前のことです。その後、あこがれは現実のものとなり、急激な普及の波が押し寄せ、瞬く間に個々へと浸透してきました。この間、「このままでは、いつか機械に人間が支配される時代が来るのでは」と憂いた人々もいたのではないでしょうか。

今、個人個人が、人とではなくコンピューターの画面と向かい合って、仕事をし、遊ぶようになりました。何でも自分の指示通りに実行してくれるコンピューター。人は、それと向かい合うことによって、他人にも同様の完全性を求め、他者に対する優しさや思いやりをどこかに置き去りにしてきてはいないでしょうか。人には、長所もあれば短所もある。だから味がある。皆で助け合い、補い合い、同時に高め合っていく。それが生きていくということの1つではないかと、私は思います。

「コンピューター」に、スピードと完全性を要求すること。これは当然のことかもしれませんが、これに慣れていく中で、知らず知らずのうちに、コンピューターを使う「人」にもスピードと完全性を要求するとすれば、それは、コンピューターに心を支配されているということなのかもしれません。
品質の良いものを創りあげるには、時間が必要です。良いものができたことを人の目や心で確認できる余裕が、その製産過程にないのだとしたら、それもまた、コンピューターのスピード指向に思考を支配されているのかもしれません。

IT(Information Technology:情報技術)の進歩により、インターネットという情報の渦に飲み込まれているのも確かでしょう。私もその1人ということになります。しかし、情報は常に正しいとは限りません。人を惑わす数多くの情報もあります。
その中から取捨選択できるだけの知識を、書籍等のアナログ資料や情報から培っておくことも必要なのでしょう。
人間は、生まれたときが完全体で、成長する過程で次第に何かが失われていくものだといわれています。そしてまた、秀でた部分が出来上がっていきます。それが短所であり、長所なのです。

西洋音楽においても、同様のものがあります。音階(スケール)です。これには、その調性の特徴をもった音が全て順序通り含まれています(例えばハ長調では”ドレミファソラシド”)。ここからどれかを減らしたり増やしたり、他の音に近づけたりすること(シャープやフラット)によって、音の並びには見違えるような味わいが生まれます。そうして個性溢れる美しい旋律ができあがっていくのです。旋律ができあがっていく過程は、人間が成長していくのと同じなのです。きっと。

音楽が人々にとって魅力的なのは、人間が成長して大人になるように、旋律が生まれてくるからでしょう。


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by dirigent-yuichi | 2007-01-26 02:38 | 音楽
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